MCU考察についてのメモ(4/5)

やばい。アイアンマンとキャップとスパイダーマンの考察を個別にするはずだったのに、書いてるそばから考察のネタが増えてしまい、まとめられなくなっている。


とりあえず、メモ的な感じで考えを整理してみたい。


・アイアンマン/トニー・スタークについて

アイアンマンというか、スターク親子は作った敵が多すぎる。あるいは、作った武器が敵に利用されていたり。正直僕は、「アイアンマンって倒した敵より作った敵の方が多くね?」「アイアンマンはヒーローとしてどうなの?」という感覚を抱いていた。


テン・リングス、オバディア・ステイン、なんとかヴァンコ、AIM、ウルトロン、バルチャー、ナントカマン(ネタバレなので言えないやつ)etc...


彼や彼の父、スターク社の関わった悪役はこんなにも多い。彼の物語は当時のアメリカ(世界の警察)を思わせる描写も多いので「まるでアメリカ人のカルマを精算するかのようだ」と思ってしまう。というか、MCU自体がそういうシリーズのような気もする。ブラックパンサーとかキャプテン・アメリカの映画もね。


・本物のヒーロー

そんな彼が関わった中で、正統派の外敵は『アベンジャーズ』のチタウリとロキ、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』と『アベンジャーズ/エンドゲーム』のサノス軍くらいだ。しかし、どちらの戦いにおいても、アイアンマンは大役を果たしている。チタウリとの戦いではマンハッタンに核ミサイルが撃ち込まれるのを阻止して、逆にそのミサイルで敵の母艦を撃破した。サノスとの最終決戦では、その身を犠牲してサノスたちを倒したさせた。そう、全宇宙の命を救ったのだ。彼はこの時、本物のヒーローになったのだと僕は思った。「作った敵より救った命の方が多くなった」のである。


スパイダーマンの立ち位置

MCU第一作のヒーローであるアイアンマン。その遺志を託されたスパイダーマン/ピーター・パーカーは、フェーズ4以降のMCUを引っ張る主役だと言える。事実、『アイアンマン』から始まる物語「インフィニティ・サーガ」は『アベンジャーズ/エンドゲーム』ではなく、その次のスパイダーマン/ファー・フロム・ホーム』が最終作だとされている。それほど重要なキャラなのだ。


アイアンマン3の立ち位置

アイアンマン3はシリーズの中でも特殊な立ち位置である。原作の人気エピソード『エクストリミス』を元にしたこの映画は、二つの観点から語れるだろう。一つはアメリカの物語として、もう一つは医療の物語としてだ。そして、この映画の時系列は『アベンジャーズ』の少し後に当たるが、そのテーマ性は、むしろフェーズ4──『エンドゲーム』が終わり、アイアンマンがいなくなった時代を思わせるものだ。


アイアンマン3アメリカ要素

アメリカ要素についてはかなり露骨だが、その中にはインディアン(ネイティブ・アメリカン、先住民)を連想させる描写もある事を書いておきたい。敵組織の「AIM」は、インディアンの権利を求める団体「AIM」と名前がよく似ている。また、インディアンの姿をした置き物から、トニーが服を拝借するシーンもあるのだ。とはいえ、白人がインディアンに行った蛮行は凄まじいものだ。それに比べれば、トニーの自分勝手さとアルドリッチの恨みは実に些細なものである。そのため、二人の関係をアメリカと先住民の関係にそのまま置き換えて考えるのは良くない気がする。


この映画に出てきた敵『マンダリン』は、アルドリッチの雇った役者で、テロ組織テン・リングスの首領を演じていた。アルドリッチは彼をカダフィと同列に語り「アメリカはわざと、自分の敵を自分で作っているのだ」的な主張をする。アルドリッチもトニーのせいで悪に堕ちたキャラなので、やはりアメリカとトニーが重ね合わせで描かれている。


・空っぽのアーマーを操るトニー

ラストバトルで、空っぽの大量のアーマーを操り、敵と戦うトニー。あのシーンも何か意味があるのだろうか?ちょっと分からんけど、兵士と指揮官のようなモチーフかもしれないし、なんか深読みできそう


・トニーの胸の手術

物語は、AIMとの決戦後、トニーが胸の手術を受け、金属片を取り除いたというシーンで終わる。正確には、トニーがブルース(ハルク)にそのことを聞かせているシーンで終わるのだが。ちなみに、ブルースはこういう事には向いてなくて、話の序盤で寝てしまっていたようだ。


 この『胸の手術』は、さまざまなメタファーとして読み解けそうだ。アメリカの外ではなく、内側に目を向けること。それこそインディアンの話も含めて、アメリカ国内の問題を一つずつ解消していく事だってそうだろう。あるいは、アイアンマン/トニーのキャラクター性に関わる描写として。彼が胸につけているリアクターは、スーツの動力源でもあり、同時に胸の金属片を抑える電磁石でもあった。それはトニーのアイデンティティに関わる要素だ。


また、この映画の序盤には「医療用の研究であるエクストリミス」が描かれる。医療で始まり医療で終わる映画なのだ。それなら、この映画そのものが『医療』をテーマにした作品だと考えても、問題はないだろう。


・フェーズ4の先駆けとしてのアイアンマン3

アベンジャーズなどの本筋的な作品と比べれば、この作品はトニー個人の物語であり、『アイアンマン』シリーズ単体の完結作である。そのため、シリーズの流れの中では位置づけづらい。しかし、そのテーマが医療だとすれば、話は別だ。例えば『スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム』はヴィランを治療する物語だったし、『ムーンナイト』は精神障害者が主役の物語だ。『エターナルズ』にもそういう描写があるらしい(まだ見てない)。このように、MCUのフェーズ4とされる作品は医療を扱った作品が多い。また、精神医療という面でも、アイアンマン3は先駆けである。パニックや睡眠障害に悩まされ、アーマー依存症となっているトニーが描かれるからだ。


・ムーンナイトの先駆けとしてのハルク

トニーの話を聞いていたブルースだが、心拍数が上がると別の人格「ハルク」に変身してしまう彼は、解離性同一性障害(=多重人格)の特徴を持っている。肉体的な変化を別とすれば、本当にそれっぽいキャラ造形だと思う。アイアンマン3では「トニーの話を聞いてる内に、すぐ居眠りしてしまった」ブルースだが、この描写でさえ彼の症状に関わるもの(解離による眠気)として解釈できる。もっとも、解離による眠気は誰でも起きる事なので、脚本家がそこまで考えていたかは分からない。これに対して、『ムーンナイト』は明確に「解離性同一性障害の主人公」という事をウリにしていて、ハルクとは描き方が違う。とはいえ、ムーンナイトの先駆けとしてのハルクには、注目すべきだろう。


・ハルクのデビュー映画が退屈だった理由

ところで、『インクレディブル・ハルク』はちょっと退屈な映画で、深読みするところも少ない印象がある。ていうか地味。実際、アイアンマンとは違って『ハルク2、ハルク3…』みたいな続編が作られていない。不人気なのだ。では、どうしてそんな映画になったのか考えると、「解離性同一性障害の主人公」という点をメインテーマにしなかった事が理由かもしれない(例えばね)。ハルクの魅力は無秩序で暴れん坊なところだから、精神医療的なテーマを扱う必要は無かったのだろう。しかし、あの映画は恋人が登場してからが面白いので、せめて「ハルクと恋人」みたいなテーマに絞って欲しかったかもしれない。つまり、序盤にポルトガルのジュース工場を長々と映すのではなく、ハルクの恋人や、ハルクが変異してしまったキッカケを描いてほしかった。てか、あの序盤は吹き替えで見てても字幕ばかり出てくるので、そこも含めて超☆退屈だった。


キャプテン・アメリカ仮面ライダーに関する考察(初代、クウガ、G4など)

めんどくさいし、長くなるから書かない。他の考察と比べてまとまりが良さそうだから、今度やる気が出たときに書いてみよう。


感想

つかれた〜!!!!でも良い疲れ。結構色々考えてたのが分かったし、書きたい事を全部書けたし。ここに書いた考察は、後で分解していくつかの記事に変えようと思います。ハイ。

創作のために過去を掘る その2

キャラクターについて。今回は、小学五年生の時に作ったキャラクターのことを考えてみる。


ブレイブマン

宇宙キリガミネという田舎出身(失礼)。なぜ霧ヶ峰なのかというと、小学校の夏休みの合宿?で霧ヶ峰に行ったから。まあまあ楽しかった。

実は名前が示す通り、勇者としての宿命を背負っている。魔王エンアースの討伐を目指して、宇宙警備隊養成校に入学する。

 想い・願い・祈り: ダイ大の勇者や、ハリー・ポッターのような主人公を書きたかった。宿命の中で、先生から戦い方を学び、やがて魔王を打倒する。



ミラクルマン

もとは自分の過去作「ミラクルマン」に登場するキャラ。おっちょこちょいで、ビームやブーメランを自分によくぶつける(彼のビームは地球を一周して背中に当たるのだ)。おそらくブレイブマンの先輩。卒業後、怪獣や宇宙人と戦うために地球に派遣されるが、この作品ではまだ学生である。ちなみに、奇跡を起こす能力は一切ない。

 想い・願い・祈り: ウルトラマンのパロディがやってみたくて作ったキャラ。あまり個性的ではないと思うが、「ヒーローとしての実力があるけどドジっ子な先輩」というのはそれなりに活かせる個性かもしれない。



ソードマン

ゼットマン

アルティメットライジングライトニングドラゴンマン

三人揃ってトリプルマン。

ソードマンは剣の使い手で、顔はミラクルマンと同じ(帰マンリスペクト)。単純だが正義感溢れる性格。

ゼットマンは冷静沈着な参謀タイプで、頭からブーメランを出して攻撃する。

アルティメットライジングライトニングドラゴンマンは、名前が長い。先祖代々カッコつけるのが好きで、カッコつけすぎて勝機を逃す。格闘とエネルギー弾で戦う。

彼らはミラクルマンの続編で「トリプルマン」という一貫あたり6ページくらいのギャグ漫画の主役だった。小学生にしては面白い内容だったけど、諸事情で捨ててしまったのが悔やまれる。アリ型ケイ素生命体の住むギャガ星を守るヒーローだが、「ブレイブマン」ではブレイブマンの同級生として登場する。

 想い・願い・祈り:今思うと、僕は学校生活に楽しさを見出していた。確かに、家庭環境は酷いし先生はクソだったが、友人との交流は楽しかったのだ。「三人一組のトリプルマン」という発想は、その楽しさをキャラクター化したものではなかっただろうか。ところが、トリプルマンを書き始めて半年で引っ越す事となり、新しい友達を作ることに失敗したのだ。それ以来、学校そのものが本当に嫌になった。ブレイブマンを完成できなかった理由は、友人との交流を失った事にあるのかもしれない。



アブソリュートダークネスエクリプスライトニングドラゴンマン

ぶっちゃけ、

正確な名前覚えてない。

アルティメット(中略)ドラゴンマンの親戚で、真面目というより、ほどよくノリの良い先生。ブレイブマンたちの担任として、必殺技の撃ち方も、怪獣の特徴も、全部教えてくれる。時々生徒に無茶振りをする(笑)。カッコつけ一族の一員だからか、全身真っ暗な闇属性っぽい見た目(※味方です)。

 想い・願い・祈り:後から見ると、彼は普通の先生なんだよね。悪人でもなく、稀代の名教師でもなく、普通に頼れるキャラ。現在、僕が先生キャラを作る時には「凡人だが、生徒の問題にきちんと対処せず、見て見ぬふり」「実はすごい悪人」「すごく良い先生で、特別な人生経験(苦い経験も含めて)がある」のどれかなんだよね。このキャラに、先生としての特別さがそんなにないのは、学校がわりと好きだった時代のキャラだからだろう。



宇宙大魔王エンアース

全宇宙の支配を企み、宇宙警備隊と戦争をしている大魔王。狙っている星の中には、地球も含まれているようだが…?

 想い・願い・祈り:しらねー!眠い!午前四時だから眠い!



ゲドン

ギャガ星に住む、恐竜型の大怪獣。トリプルマンをライバル視して、戦いをたびたび挑む。主な攻撃はビームを吐く事だが、なんと倒される度に強くなって蘇る特性を持つ。蘇ると「スーパーゲドン」「バーニングゲドン」「ネオグランドゲドンEx」などと名前も変わる。

 想い・願い・祈り:ギャグ漫画の準レギュラーとして、さらにヒーローたちのライバルとして、ふさわしいキャラを作ろうとしたのだろう。そういうキャラは大事。あと、名前の由来は「ハルマゲドン」(最終戦争)だけど、そこから「倒されるほど強くなって蘇る」というキャラになるのはエグすぎww ギャグ漫画じゃなければラスボスになれる能力だ。



サタン

ルシファー

ベルゼブブ

リヴァイアサン

地球出身の悪魔たち。「ブレイブマン」の時代には地球で活動しているが、やがて地球人が神や悪魔を信じなくなったので、ギャガ星にやってくる。キリスト教七つの大罪をモチーフにしているが、アスモデウス(性欲の悪魔)などを小学生の漫画で描きたくなかったので四人に減らした。

リヴァイアサンは大蛇のような姿で、嫉妬のエネルギーを操り、ギャガ星の殺人・殺人未遂件数を増加させた。しかし、ミラクルマンの協力で事件の起きた場所からリヴァイアサンの居場所が割り出された。追跡するトリプルマン、逃げるリヴァイアサン。その先には、たまたま通りがかったゲドンが……。トリプルマンを倒すための新兵器『ゲドンミラー』を持っていたゲドンは、リヴァイアサンのビーム攻撃を受けて真っ二つになる。一方、リヴァイアサンも自分のビームが反射して死ぬのであった…

ベルゼブブは羽にドクロ模様のついた、ハエのような姿で、BLACKゲドンと大食い勝負をする(大食い大会のTV番組が好きだった)。だが、ギャガ星人はケイ素生命体なので、ガラスやワックスやプラントオパールなど、やたら食いづらい料理ばかり(ていうか食べ物じゃねえw)。結局、大食い対決に負けたベルゼブブは暴れ出したので、勝負を見張っていたゼットマンが倒した。

ルシファーは鎧を着た巨人で、トリプルマンが三人総出でかかっても倒せないほどの戦闘の達人。たぶん修行が必要なやつ。でも、コイツとの戦いを実際に書くことはなかった。

サタンは悪魔の王。能力は決めてない。コイツを倒した後、「悪魔を野放しにした神様が悪い!」という事で神様を倒し、代わりに「イエス!キリピュア5!」というシスターの集団(人数は48人かも)が神様の代わりになる予定だった。うん、書かなくて正解だなw

 想い・願い・祈り:七つの大罪」という厨二的なモチーフに興奮していたので、その想いが詰まっている() 一方、ラスボスがサタンではなく神なのは、「神がいるならなぜ世界は理不尽なんだ?」という想いから来ている。「神の方が間違っているんじゃないか?」という事だ。当時は詳しくなかったが、グノーシス主義のような考え方である。



ギャガ星人

アリみたいな見た目のキャラ。高度な知性を有し、地球人のような文明を築いている。ただし、ケイ素生命体なのでタンパク質は食べれないし、彼らの料理はワックス、粘土、ガラスなど、地球人にとっては食べられない物ばかりである。

実は、ギャガ星人の若者が地球に来て「うわあ…これが地球か…」とか感動してる漫画を書いた事があるのだが、続きは書かなかった。もったいない事をしたかな。

 想い・願い・祈り:アリが好きなのと、「ガメラ2 レギオン襲来」という映画のような、ケイ素生命体に興味があったから。しかし、怪物のような異種族ではなく地球人のような心を持った種族にしたのは、意外とオリジナリティがあったかもしれない。



という訳で、自分が過去に作ったキャラを振り返ってみた。


今回分かったことの一つだが、ミラクルマン〜ブレイブマンのシリーズは「自分の攻撃が自分に当たる」シーンが多すぎる。また、倒される度に強くなるゲドンも凄すぎる。深読みすれば「過剰な武力は自滅に繋がる」的なメッセージがあるのかもしれない(そんなものない)。とはいえ、小学生の時の無意識的な考えが現れていそうだ。


ちなみに、僕は小学生の時からスパイダーマンが好きだったけど、スパイダーマン1の敵キャラ、グリーンゴブリンはまさしく「自滅」する。スパイダーマンを騙し討ちしようとして、自分の攻撃が当たってしまったのだ。


「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉がある通り、スパイダーマンは主体性と責任の物語だ。その物語において、自分の攻撃で自滅することは、「自己責任」の一種であるといえる。


とりあえず、僕の作品にスパイダーマンの影響と、深い意味をこじつける余地が見出せたところで、僕は一旦寝るとしよう。外はもう明るい。午前5時44分だ。

創作のために過去を掘る その1

知り合いに、ニュータイプかと思うほど感覚の鋭い人がいて、僕は彼からアドバイスをもらった。


「創作をする時、キャラクターの中身にこだわるべき。キャラクターにこめた想い・願い・祈りのようなものを、過去から探す必要がある。あなたは未来にばかり目を向けるから、バランスを取らないといけない」


その通りだ。けれども、当時はまだ頭が硬くて、あまり過去を掘れなかった。


最近になって、Twitterで「いいねしてくれた人をイメージして小説の書き出しを作る」という企画をやってみた。色々な人からいいねが来て、正直大変だったが、僕にしては魅力的な文章をいくつも書けた。その中に、次のような作品がある。


地球からの移民が造った、火星都市ニミュエ。そこに宇宙警備隊養成校があった。

「かつて地球は鎖国状態にあったが、今は違う。世界を守るために、人々は星を越えて協力した。我が校も、君たちも、その象徴だ」

先生が新入生たちに語った。地球人と異星人が混じる教室。僕の心が緊張と期待で膨らんだ。


あくまで「書き出し」だけを書くという企画なので、この文章の続きはない。しかし、この作品を贈った相手から褒められたので、僕はたちまち嬉しくなった。


調子に乗って、「この作品は小学生の頃に書こうとしてやめた作品を元にしてるんだよねー」と、元になった作品の構想を語ってみたところ、それもそれで「もし続きを見れるのならまた見たいぜ」と言われて、僕の意欲にも火がついた。その作品…『ブレイブマン』という作品は、ちょうど僕が東京から茨城に引っ越し、生活も創作も上手くいかなくなった時期の作品だ。結局、ブレイブマンの構想は二転三転四、五、六転ぐらいしながら、立ち消えとなるのだが、今でも未練があるのだ。


ブレイブマンについては、大きく分けて二種類の構想があった。


1.宇宙警備隊養成校を舞台に、宇宙大魔王エンアースの脅威に立ち向かうヒーロー候補生たちを描く。キャラは全員宇宙人で、ジャンルはギャグ。ブレイブマンは主人公の本名(!)。

(ウルトラマンハリー・ポッターと、ドラゴンクエスト ダイの大冒険が好きだったから生まれたアイディア。また、未完のネット小説「(,,゚Д゚)ギコと从 ゚∀从ハインと学園都市のようです」に憧れていたのだ)


2.日本のとある都市と学校を舞台に、主人公の女の子・清水カイナが怪事件を解決する。彼女は『スピリット』(精神の力)を操る能力者で、同じように能力に目覚めた者たちや、調査のために派遣された魔法使い・五条練と協力する。

(中学二年の時に考えたもの。ジョジョのパクリw)


この二つの構想は、タイトルと一部のモチーフが共通しているだけで、全然別物だ。カイナのスピリットが「ブレイブマン」という人型の存在で、ラスボスが「ウィザード・キング」という魔王的なイメージの敵キャラだったりもするが、やはり別物だろう。


今回の構想は三番目となる。「火星都市ニミュエ」という用語を使えるくらいにはSFな世界観で、宇宙警備隊養成校には地球人と宇宙人の両方が通っている。モンスター(怪獣)も出るし、宇宙人とも戦う。ギャグとシリアスのどちらに寄った作品となるのかは分からない。


もし、僕が「ブレイブマン」という構想を今度こそ形にできるのなら、それは過去のアイディアを掘り下げてからだ。そうでないと、やはり構想がブレてしまうだろう。



(つづく)

日記: 4/4(月)

良かったこと:外出して気分転換ができた

今日気づいたこと

・ブログを書くのはやっぱり大変だ。特定の人に向けて書くのと比べて、文章量や説明の仕方を考えるのが難しい。つい先延ばしにして、ブログ化すべきネタを知り合いに喋ってしまう。
(面白いネタはいくつもあるのに、ブログの記事としてはまとまってないとか、文章が長すぎるなどと考えてしまうのだ)

・ブログのテーマとして、自分のトラウマを書くのはふさわしくない。フラッシュバックはほぼ無くなったとはいえ、トラウマを思い出すと今でもイライラするからだ。それは精神衛生上良くない。加えて、不特定多数の読者に向けて、僕の混乱した心情と体験を長々と語るのは、ちょっと難易度が高すぎる。少なくともブログの一記事に収まるボリュームではない。ブログではそういう話は避け、あくまで一般論として精神医療について語ろうと思う。

・一年前の目標と今の目標を比べてみた。目標が変化しているし、具体的になっているから良い事だ。僕の今の目標は、ある作品を完成させることと、このブログの記事を増やしていくことだ。

・僕は物語を作る時に、計画ばかり立ててしまう。だが、それは計画を立てるのが楽しいからというより、恐怖に駆られてのものだ。そして、計画的な創作を否定されることも、僕にとっては激しい恐怖を生む。その理由を改めて考えてみた。

・僕が物語をアドリブで作らなくなったのは、父親と、ある時期の医者や福祉司、教師などの影響だ。発達障害だからサラリーマンには向いていないと言われた僕にとって、それなら小説家や漫画家の方が向いてると考えるのは、至極当然の帰結であった。しかし、彼らにとって、僕の夢は「遊び」でしかなかった。僕の能力を否定して「そんなんでサラリーマンになれると思っているのかァ!!!!!」と怒鳴り散らした父は、同じ口で「漫画家は遊びだ。お前はサラリーマンのような安定した職業に就かないとダメだ」と言うのだった。そんな矛盾した事を言われて、混乱しないヤツがいるのか?しかし、その心理的圧力は僕に影響を与えた。

・幼少期は、アドリブで物語を書く、あるいは書かずに設定を考える事が楽しかった。その楽しさは本物だ。けれども、それが「遊び」であるとしたら?僕の将来にはふさわしくないものとして、父が僕に暴言を吐いたり、周りの大人がそれを容認することの根拠となったら?僕は「将来の仕事としての創作活動」こそが自分の心身を守り、生きて存在する事の意義を保証すると考えるようになった。

・「遊びではない創作」のために、過剰なまでに計画を練るようになった僕は、その割にほとんど作品を作らなかった(少しは作ったし、あるサイトのランキングに入った事もある)。そもそも、病気のせいであらゆるエネルギーが枯渇していたのだから、計画をしようとしまいと、物語を簡単に書ける時期は過ぎ去っていたのだ。

・話を今に戻す。僕は今、少しずつだが物語や絵を描けるようになってきている。アドリブでの創作も、計画的な創作も、以前よりはできる。酷い時は線を一本引くだけでも疲れていたのだから、それと比べりゃ当然だ。そんな中で、僕の目標は「絵を描こうとしないこと」になりつつある。それは、創作活動に対するプレッシャーが大きすぎて、逆に創作意欲を失っていると気づいたからだ。サラリーマンだけが人生ではないし、作家や漫画家だけが人生ではない。今の僕にとっては、仕事と趣味を別々にした方が得だと思ったのだ。

・物語についてもそうだ。計画を練って練りまくって、一度作った設定も不正解のような気がして、さらに練り直して… そんな苦行はそろそろやめにしよう。

古代民族グロンギ、実はアギトのifだった説

うん。クウガとアギトの考察は色々考えたけど、これが一番大事だと思った。

クウガとアギトが連続している……すなわち、時系列のズレこそあれど、アギト本編の二年前に終息したという「未確認生命体事件」が「グロンギと人の戦い」であったならば、そこには次のような意味があったのだと思う。

それは、「進化した人類は、人類と共存できるか」という問いの始まりだったのではないか。

グロンギは、特殊な隕石に触れて進化した。
アギトは、白い青年(光の力)の干渉によって進化した。
どちらも、人から生まれて人を超えた種族。

最強のグロンギたるン・ダグバ・ゼバはその力で大虐殺を行なったし、アギトの力は天使(アンノウン)さえ殺す。アギトが進化すれば、神を超越できる可能性すらあるという。その神、黒い青年(闇の力)は、星々の位置や人の運命さえ操る事ができる。

だが、両者には大きな違いがあった。
グロンギは、その力で殺戮を楽しみ、クウガによって封印された。現代に蘇ったグロンギたちも、結局はクウガや警察との戦いによって絶滅した。
つまり、グロンギは人類と共存できなかった。その関係は、最後まで滅ぼし合うだけの関係となったのだ。
(なお、これは筆者の想像だが、ゲゲルをせず、リントと共存するようなグロンギはいたかもしれない。しかし、そんな優しいグロンギは、クウガと戦ったり封印される事がなかったはずだ。封印されたグロンギたちは、殺戮を楽しむ邪悪な者しか居なかったと考えられる)

さて、一方のアギトはどうだろう。超古代ではともかく、現代のアギトは絶対的な悪ではなかった。善人、悪人、その中間。様々な人がアギトに覚醒した。
また、彼らの世界観や文化は、リントともグロンギとも違う。それなりのバランスで、平和と争いが混じり合った文明。その中で、未確認生命体=グロンギという怪物が突如復活を遂げ、人々はその恐ろしさや、その末路を知ったのだ。

だから、人々がアギトやギルスの変身した姿を見るとき、(脚本にはなくても)その世界の人々は未確認生命体を想起したと思う。普通の人間、隣人や、自分自身がグロンギのような姿になってしまう恐怖。アギト(ギルス)に対する極端な眼差しや、アギトの自殺といった出来事の裏には、そのような恐怖があったと見てもよいだろう。そんな恐怖の中で、心の底から邪悪になれる人間はそう多くないはずだ。それは自らグロンギとなる事、破滅を選ぶ事だ。

このように、アギトたちには人間との共存を選ぶ余地があったのだ。文化的に、心情的に。

さらに、力の差というものがある。当初、グロンギは人間に対して圧倒的な暴力を見せた。アギトやアンノウンも、普通の人間が倒せる相手ではない。
しかし、現代のクウガと協力することや、神経断裂弾の開発によって、人間はグロンギを倒すことに成功する。そのクウガを元に設計されたG3とG3Xは、アギトやアンノウンに対抗しうる『人間の武器』となった。

人間とアギトは、この時対等の存在となったのではないだろうか?
しかし、グロンギの出現がなければ、人類がG3を開発する事はなく、人類とアギトのパワーバランスは崩れていたかもしれないという事だ。

そんな訳で、「進化した人類は、人類と共存できるか」という問い…
その試練を乗り越えるために、グロンギという、邪悪だがアギトとよく似た存在との戦い」が必要だったのではないだろうか。

筆者はそのような事を思った。

クウガとアギトについて考えていること

仮面ライダーシリーズの中で、クウガとアギトは微妙な関係の作品だ。この二つは世界観が微妙に繋がっているけど、一応別々となっている。具体的には、クウガでは2000〜2001年に起きた未確認生命体事件が、アギトでは1999年に終息した事になっている。
なので、アギトの世界では「クウガと似たような出来事が過去に起きた」だけであって、クウガのキャラクターがアギトに出てくる事は全然ない。

しかし、アギトの世界で「未確認生命体」が現れた理由は何なのか、それはアギトの世界観やストーリーにおいてどのように位置づけられるべきなのか… 自分はそのように考えてしまう。そうでなければ、アギトにおける「未確認生命体」は、製作者のメタ的な事情で組み込まれただけの、アギト本編とはまったく異質な事件になってしまうではないか。

では、逆に未確認生命体=グロンギの存在を、アギトの世界観における重要な要素だと仮定してみれば──もちろん、ファンの勝手な空想であって、公式に意図されたものではないし、皆がそれを正しいとする必要もないが──、キャラクターの心理を考えたり、アギトのテーマ性をクウガから連続したものとして捉えたり、「白い青年」=光の力と、仮面ライダーたちの関係性をより深く想像できる。

そう思うので、いつか記事を書いてみたいなあ… なんて思ってます。はい。
(ちょっとずつ書いてるけど大変)