日記: 4/4(月)

良かったこと:外出して気分転換ができた

今日気づいたこと

・ブログを書くのはやっぱり大変だ。特定の人に向けて書くのと比べて、文章量や説明の仕方を考えるのが難しい。つい先延ばしにして、ブログ化すべきネタを知り合いに喋ってしまう。
(面白いネタはいくつもあるのに、ブログの記事としてはまとまってないとか、文章が長すぎるなどと考えてしまうのだ)

・ブログのテーマとして、自分のトラウマを書くのはふさわしくない。フラッシュバックはほぼ無くなったとはいえ、トラウマを思い出すと今でもイライラするからだ。それは精神衛生上良くない。加えて、不特定多数の読者に向けて、僕の混乱した心情と体験を長々と語るのは、ちょっと難易度が高すぎる。少なくともブログの一記事に収まるボリュームではない。ブログではそういう話は避け、あくまで一般論として精神医療について語ろうと思う。

・一年前の目標と今の目標を比べてみた。目標が変化しているし、具体的になっているから良い事だ。僕の今の目標は、ある作品を完成させることと、このブログの記事を増やしていくことだ。

・僕は物語を作る時に、計画ばかり立ててしまう。だが、それは計画を立てるのが楽しいからというより、恐怖に駆られてのものだ。そして、計画的な創作を否定されることも、僕にとっては激しい恐怖を生む。その理由を改めて考えてみた。

・僕が物語をアドリブで作らなくなったのは、父親と、ある時期の医者や福祉司、教師などの影響だ。発達障害だからサラリーマンには向いていないと言われた僕にとって、それなら小説家や漫画家の方が向いてると考えるのは、至極当然の帰結であった。しかし、彼らにとって、僕の夢は「遊び」でしかなかった。僕の能力を否定して「そんなんでサラリーマンになれると思っているのかァ!!!!!」と怒鳴り散らした父は、同じ口で「漫画家は遊びだ。お前はサラリーマンのような安定した職業に就かないとダメだ」と言うのだった。そんな矛盾した事を言われて、混乱しないヤツがいるのか?しかし、その心理的圧力は僕に影響を与えた。

・幼少期は、アドリブで物語を書く、あるいは書かずに設定を考える事が楽しかった。その楽しさは本物だ。けれども、それが「遊び」であるとしたら?僕の将来にはふさわしくないものとして、父が僕に暴言を吐いたり、周りの大人がそれを容認することの根拠となったら?僕は「将来の仕事としての創作活動」こそが自分の心身を守り、生きて存在する事の意義を保証すると考えるようになった。

・「遊びではない創作」のために、過剰なまでに計画を練るようになった僕は、その割にほとんど作品を作らなかった(少しは作ったし、あるサイトのランキングに入った事もある)。そもそも、病気のせいであらゆるエネルギーが枯渇していたのだから、計画をしようとしまいと、物語を簡単に書ける時期は過ぎ去っていたのだ。

・話を今に戻す。僕は今、少しずつだが物語や絵を描けるようになってきている。アドリブでの創作も、計画的な創作も、以前よりはできる。酷い時は線を一本引くだけでも疲れていたのだから、それと比べりゃ当然だ。そんな中で、僕の目標は「絵を描こうとしないこと」になりつつある。それは、創作活動に対するプレッシャーが大きすぎて、逆に創作意欲を失っていると気づいたからだ。サラリーマンだけが人生ではないし、作家や漫画家だけが人生ではない。今の僕にとっては、仕事と趣味を別々にした方が得だと思ったのだ。

・物語についてもそうだ。計画を練って練りまくって、一度作った設定も不正解のような気がして、さらに練り直して… そんな苦行はそろそろやめにしよう。