【否定的】シン・ウルトラマンの感想・評論

結論から言うと、10点中5点です。あと、ブルーレイが発売してても買わないと思います。


まずは『セクハラ』の件、その次はヒーローや怪獣の描き方について、その次は『スパイダーマン』や『ドクターストレンジ』との比較について語ります。


一つ目。面白かったシーンもそこそこあるんですけど、「アサミヒロコが自分のお尻を叩くシーン」が序盤から出てきて、要所要所でまた出てくるのがキツくて……。昭和のオヤジ趣味かよ、って思いました(ちなみに僕は2000年代生まれの男性です)。


巨大フジ隊員ならぬ、巨大アサミヒロコは良いですよ?だって原作からある表現ですし。でも尻はちょっとなあ… ウルトラって、元々セクハラ描写が少ないシリーズですし、今回の「お尻たたき」もストーリーに要らないですよね。今回ばかりはフェミニストが正しい。


多くの物語において、序盤は全体の予告です。ジョジョ第一部の序盤では「石仮面」「馬車の事故」「ジョジョとディオの出会い」などが描かれます。第八部の「四つのキンタマ」ですら、ストーリー上の謎として、意味をもった描写です。


じゃあヒロコが自分の尻を叩いたり、ゼットン戦では神永の尻を叩くのは何の意味がある訳?


もしかしたら、監督のコンセプトは「自分の好きなものを描くこと」で、一貫してるのかもしれない。でも、観客はセクハラ好きとは限らないぞ???


あと、ヒロコの匂いを嗅ぐシーンもダメだなあ… 長々と嗅ぐし、ケツの方まで嗅いだりするし… スンスンって、ちょっと嗅げばOKでしょ。



次。ヒーローの描き方について。今回のウルトラマンは、戦犯度合いが強すぎる。


今までのウルトラマンでも、ウルトラマンが原因で地球が被害を負う事はあったと思います。例えば、エンペラ星人は光の国への恨みを晴らすために地球を利用し、様々な怪獣・宇宙人を送り込みました。また、ベリアルやトレギアの行動は、様々な宇宙で被害を出しました。


それでも、今回ほどじゃない。特にメビウスやニュージェネなどの作品は、M78ワールドのウルトラマンが積み重ねてきた、様々な戦いの歴史を背景にしています。その中では、地球を脅威に晒した回数よりも、地球を救った回数の方が遥かに多いと思います。


シンウルでは、禍威獣と人間の戦いにウルトラマンがお節介を焼いて、その結果、神永が死んでしまい、神永と命を共有した結果、外星人に地球が狙われ…

と、ものすごいレベルのマッチポンプ!!!アカン!!地球滅びるよ!!!ヤバいよ!


こういうマッチポンプってアメコミがやりがちな印象だったので、まさかシンウルでやるとは思いませんでした。しかも、ラスボスは侵略者ではなく、光の星から送り込まれた怪獣兵器。太陽系を丸ごと消せちゃうやつ。ヤバい。ウルトラマンがそこまでやってどーする。


この映画のテーマはウルトラマンと人間の絆だと思うんですよ。アサミヒロコの役割は、観客に近い存在であり、人間の代表。初代ウルトラマンでいうと、第三話のネロンガ回にも登場したホシノ少年のポジションです。つまり、アサミヒロコに感情移入することで、ウルトラマンとの絆を体感しやすくなる。


ところが、例のセクハラシーンが繰り返し出てくるせいで、盛り上がるべきところで冷めちゃったり。神永/ウルトラマンの方も、ハヤタやミライと比べて、正義感とか情熱とかが感じづらいキャラだと思いました。そこはシンゴジのようなリアル風味より、ミライのように漫画的な描き方をした方がよかったかも。


怪獣の話。これ、途中から禍威獣関係ないですよね?


初代マンの場合は、第一話が宇宙怪獣で第二話が宇宙でした。だからラスボスが宇宙怪獣でも同じ『軸』の物語だと思えます。セブンは一貫して宇宙人との戦いでした。


一方のシンウルはどうでしょう。禍威獣との戦いで始まりながら、それが外星人やゼットンという脅威を引き込み、最後は禍威獣じゃなくてマルチバースの外星人たちという脅威で終わる。禍威獣は???


おそらく帰りマンを意識したのでしょうが、舞台装置的な、単なる敵としての怪獣は、僕としてはダメです。やはり怪獣が主役であってほしいし、「人類の自然破壊で呼び覚まされた怪獣を、深く悩みもせずにウルトラマンが倒す」というのはダメです。そのせいで怪獣以上の脅威を持ち込むのはもっとダメ!


怪獣の描き方にテーマ性を感じなかったんですよ。例えば、ティガの怪獣は人知を超えた、闇に近い存在。ガイアの怪獣は同じ地球の生物。コスモスでの怪獣は、敵にも味方にもなるが絶対悪ではない、混沌の存在でした。妖怪に近いかも。


劇場版『ウルトラマンコスモスvsウルトラマンジャスティス』では、コスモスにとっての『光の国』にあたるデラシオンが地球を消そうとする展開があります。コスモスをリピア(シン・ウルトラマン)、ジャスティスをゾーフィ、デラシオンを光の国に置き換えると、その物語は非常によく似ています。


けれども、デラシオンが地球を消そうとしたのは、コスモスのせいではありません。また、地球怪獣も人間と同じように、デラシオンの送り込んだロボット怪獣に立ち向かっているのです。これはコスモスにおける地球怪獣が、人類と共存可能な『混沌』の存在だからです。また、コスモスの本編が、人間とウルトラマンと怪獣の関係性を、じっくり描いたからできた展開です。


それに比べると、シンウルの禍威獣は単なる敵、サブ要素として出てきただけに見えます。地球人の自然破壊が原因で現れたなら、単なる序盤の敵として扱うべきではない。逆に、単なる敵として扱うなら、『ある怪獣や宇宙人や天変地異が原因で現れた』みたいな理由づけをしてほしかったです。


コスモスはQや初代マンを意識した作品(リトラ→リドリアス、ゴメス→ゴルメデなど)ですが、ULTRAMAN(2004)やZなどもそういう作品です。前者はビーストという宇宙怪獣vs純粋なヒーローたるウルトラマンの戦いですし、Zはもうちょっと複雑ですが、地球怪獣の扱いとラスボスの扱いはZの方が上手いような気がします。


次。マルチバースについて。最近は「スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム」や「ドクター・ストレンジ/狂気のマルチバース」など、マルチバースを扱うヒーロー映画が増えてます。また、『ニュージェネ』作品でマルチバースを扱ってるのは、ウルトラファンならご存知ですよね。


そうした作品と比べるとマルチバースという言葉が、単なるスケールのデカい言葉になってしまったのが残念です(と言いつつ、子どもたちに科学への興味を持ってもらうためならOKですけど)。


実際にマルチバースを移動したり、異世界から敵が現れるような展開はなかった訳で、それなら「マルチバース」という言葉を「全宇宙(この宇宙全て)」という言葉に変えてもいいですよね。宇宙って一つだけでも広いですし。


あと、単純に「あ、MCUと被っちゃったか〜」みたいな感じがあります。わりとオリジナリティの少ない映画だったと思うのですが、『ヒーローの行為・責任で、守るべき世界を危険に晒してしまうこと』『その脅威にヒーローが立ち向かうこと』『マルチバースという設定』、この辺がスパイダーマンドクター・ストレンジと被ってます。


つまり、その辺の展開にオリジナリティを感じないから「え、そうなるの!?」という驚きもないし、スパイダーマンなどのMCU作品と比べちゃう訳です。

(もしもウルトラマンが「地球を守るために、地球に関する記憶を全マルチバースから消してくれ」って頼んで、ゾーフィが魔法を使い始めたら、その方が面白かったかもw)


しかも、スパイダーマンは他の世界からヴィランが出てくるだけでなく、三人のスパイダーマンが出てくるのが素晴らしい。世界が繋がったことで、三つの物語がクロスし、完結編を迎えた訳です。そりゃ感動ものよ!


ドクターストレンジは、『異世界の自分とどう向き合うか』が重要なドラマになっていますし、何よりマルチバースの表現がすごいです。連続でマルチバースを移動するところなんかマジでスゴい映像でした。迫力!芸術!


そういう作品に比べると、マルチバースの描写が微妙なんですよね。さらに、スパイダーマンやドクターストレンジの方がヒーロー度は高いという。


とりあえず、夜も更けてきたのでこの辺にします。


p.s

この映画が好きな人は、もちろん好きでいてくれて構いませんし、子どもたちがハマってるという噂も嬉しいかぎりです。僕は子どもの頃、初めて映画館で見た映画が『ウルトラマンコスモスvsウルトラマンジャスティス』でした。コスモスは子供騙しと言われることもある作品ですが、僕はそこから様々な学びやインスピレーションを得ました。その思い出は今も輝いています。同じように、皆様もどうか自分の感想を大事にして、物語を楽しんでいただきたいと存じます。


おわり